Story.1 誕生秘話

開発者自らが脳梗塞で
左半身麻痺の介護状態になった
経験から編み出された介護技術

One to One 福祉教育学院代表
埼玉医科大学客員教授

根津 良幸

誕生のきっかけは突然の悲劇...

今から十数年前の30代後半に私は脳梗塞で倒れました。朝起きるとその日、異常なめまいと耳鳴り、今まで経験したことのない頭痛に襲われ二階のリビングに上がると目の前が真っ赤になり、その瞬間意識を失いその場で倒れてしまいました。すぐに妻が119番に通報し、緊急搬送を依頼し、病院のICUに担ぎ込まれました。私は3日間、意識不明の重体になりました。3日後に意識を取り戻しましたが、自分がどこにいるのか今自分がいる場所の認識ができず、何があったのかを思い出そうとしても全く思い出すことができずにいました。そして自分自身の左側半身が異常なしびれとまったく動かすことができないことに気づき、もしかして「何か大きな事故に遭ったのか」、あるいは「交通事故にでもあったのか」と考え、必死に思い出そうとしても、全く思い出すことすらできませんでした。

3日間の昏睡状態

しばらくして私は左側半身があまりにしびれているため、左足が切断されているのではないかと思い、なにしろ左足を見たかったので、体にかかっている毛布を右手で取って自分の足を確認しようとしたところ、右手にまったくチカラが入らず、毛布を持ち上げることすら、また身動きすらとることができませんでした。左側半身がまるで麻酔にでもかかっているような、まったく感覚のない状態であったため、自分の身体にいったい何がおきたのか大きな不安にかられている時に、看護師が私のもとに飛んできて「根津さん、3日間昏睡状態だったんですよ。今医師を呼んできます」と言われました。

左半身麻痺の介護状態に

そして医師が来られると、私の瞳孔を調べ、私の胸に聴診器をあて、「根津さん、病名は脳梗塞です。今の状態をまず受け入れるところから始めましょう。一番大切なことは自分自身が受け入れることです。そして車いすに座れるようになりましょう」と言われました。その瞬間、私は頭の中が真っ白になり、この先自分はどうなるのか、一生車いすでの生活を送らなければならないのか... 30代後半で脳梗塞にかかってしまった私にはこの先のことも考えることすらできない状態でした。

待っていた過酷な現実

当時、私たち夫婦には子供が生まれたばかりでした。私の妻は重度のヘルニアを患っており、通常分娩では子供を産むことすらできず、一時は子供を諦めなければならないと医師に言われたこともありました。また私の母は重度の介護状態であり、妻の母は祖母の介護をしなければならず、私たち家族は誰にも頼ることができない状況でした。そのためヘルニアの妻が生まれたばかりの赤ん坊の面倒を見ながら、私の介護をしなければならない過酷な状態でした。

生きる術として編み出された介護技術

その中で私には妻が私の介護をするためにはいかに腰に負担がかからず、チカラを入れずに介護する方法を編み出すしか方法がありませんでした。この方法は私たち家族が生きるために必要な術(すべ)であり、妻の腰に負担がかかれば、私も赤ん坊も生きていくことすら不可能な状態でした。まさに私たち家族にとっては地獄の日々でした。私は「もう一度生まれたばかりの赤ん坊をこの手で抱いてやりたい」そして「夫としていかに妻に負担をかけずに日々の生活を送るか」そんな状況の中から我々家族が生きるための術として編み出されたのが「片腕一本でできるまったく腰に負担のかからない介護技術」でした。

忘れたい過去

この介護技術は十数年、私自身も、家族の者も口にすらしませんでした。なぜなら私たち家族にとっては生きる、死ぬの思いで日々生活し、地獄のリハビリをしてきた中で編み出したこの「片腕1本でできるまったく腰に負担のかからない介護技術」を世間に公開するような気持ちには到底なれませんでした。私自身が建てた特別養護老人ホームの介護現場もパワー介護(チカラ任せの介護)をおこなっていましたが、現場を改善することも、教えることすらしませんでした。あの脳梗塞で倒れてからの数年間の生活は自分では忘れたい過去であり、二度と人には口に出すことすらしたくなかったので、介護現場の職員や管理者ですらまったく知りませんでした。

介護に悩む老夫婦との出会い

ところが数年前、行政機関より「楽にできる介護の講習をしていただきたい」との依頼がありました。私自身は丁重にお断りするつもりでしたが、行政機関担当社員たっての願いだったので、仕方がなく引き受けることにしました。講義当日、私は講義会場に向かいました。すると受講生の一人である高齢の女性が私に近づき、「先生、今日この講座で主人を介護することができるようになるのでしょうか。最後に藁をもつかむ気持ちで参りました」と言われると、その女性の傍らに車いすに座られたかなり体格のよい高齢の男性がいました。 その女性から「うちの主人です」と紹介され、「主人は身長が180cm以上あり、かなり体格がよいため、もう私では介護が出来るのが限界なんです。主人の介護をできる日とできない日があります。できない日は自分の身体もままならないほどの腰痛で介護もできない状態です。こんな私でも楽に介護ができるようになって帰れるのでしょうか」と言われました。

この老夫婦を助けたい

私は行政講座担当の方に今日はこのご夫婦をモデルに講座を進めても良いか確認しました。行政講座担当の方から家族の承諾を得られれば、結構ですと言われましたので、そのご夫婦をモデルに講座を進めさせていただきました。その結果、この女性が体格のよい旦那さんを軽々と抱き起こし、また軽々と立ち上がらせることができました。そして車いすへの移乗は今までかなりの負担を強いられていたのが、軽々と移乗ができ、その女性は「こんなに軽くできるなんて信じられない」と言いながら、目から大粒の涙を流しながら講座を受講していました。

使命だと決意した瞬間

講座が終了すると、その女性は一枚の紙を私に見せました。なんとその紙は老人ホームの入所申し込みでした。その女性が私に「今日この講座が私たち夫婦にとって最後にすがる講座でした。もしここで、介助ができるようにならなければ、そのまま老人ホームへ行くつもりでいました。これで主人を老人ホームへ入所させず、最後まで一緒に暮らしていける希望が持てました」と言われ、私の手を握り締め泣きながら何度もありがとうと言い、号泣されてました。この瞬間、私は私たち家族が生きていくための術(すべ)として編み出したものを「片腕一本でできるまったく腰に負担のかからない介護」と名付け、世の中に公開していこうと思った瞬間でした。これ以後、私は一度は貰った命、この命を世の中に恩返ししていこうと心に決め、私が人生の使命とした瞬間でもありました。

介護現場に対する思い

今現在、介護現場はパワー介護(チカラ任せの介護)が主流です。私の学院で教えている介護職員初任者研修の演習においてすら、パワー介護の内容を教えているのが実状です。介護現場で働く現場職員の方たちは長年腰痛で悩まされ、仕方なしに離職せざるを得ない状況になったり、せっかく老人福祉施設に就業しても数年経てば腰痛になってしまいます。

介護=腰痛という悩みを解決したい

この介護現場を我々家族が編み出した「片腕一本でできるまったく腰に負担のかからない介護技術」でそれらの人たちが改善され、チカラを入れずに楽に介護ができるようになれば、もっと楽しく介護ができ、ご利用者の方々やご家庭で介護をされている方々も負担がかからず、無理な介護方法ではなく明るく過ごせることが私の願いです。この「片腕一本でできるまったく腰に負担のかからない介護技術」が世の中全体に広がることを心から願い、このことを拡げることが私の大きな役目であり使命であると思います。今後も日本全国にこの輪を拡げ、介護に苦しむ方々の一助の光であることを心から願い、広げてまいりたいと思います。

Story.2 次なる課題

ステージ4のがん患者として身を持って体験したリハビリ難民の問題と再生介護の重要性

私は60代の今、ステージ4のがんで闘病中です。がん患者が退院後にリハビリを行える施設はなく、私はリハビリ難民になりました。日本だけでなく世界的にもがん患者のリハビリ対応が遅れている今、医療と介護のシームレス化、機能の維持・回復・改善のためのリハビリシステムの構築が早急に必要だと気づきました。

私は、現在ステージ4のがん患者で再発転移を繰り返しています。これまで5回の手術を受けました。最後には頸動脈が破裂して命の危険に晒される恐れがあったため、右大胸筋を頸部に移植する手術を行いました。手術後すぐにリハビリを行わなければ右腕が動かなくなるのでリハビリを開始しましたが、地獄のような痛みとの闘いでした。30代の時、脳梗塞で左半身麻痺となり左手の力を奪われましたが、今度は命の代償として右大胸筋を移植したため、右手の力も奪われることになったのです。

入院中はリハビリを行うことはできましたが、退院するとがんのリハビリを行える施設は一つもありませんでした。自分自身でリハビリを行うことは痛みとの闘いが毎日続くため、リハビリを自分で行うことはがん患者にとっては到底無理なことでした。私と同様、がん患者はリハビリを受けられるところがなく、がん漂流民として路頭に迷い、結果、リハビリをすれば機能回復・機能改善できるという希望も断念せざるを得ません。介護においても、一度介護状態になってしまえば、後は機能が低下していくだけと諦めざるをえないのが現状です。

私自身ががん漂流民そして介護状態となって苦しんだ経験から、がんのリハビリをするところがないのであれば、「がんリハビリテーション包括システム」を構築し、後は機能が失われていくだけと諦めている人々に精神的にも身体的にも「再び生まれ変わることができる」という希望の光をともしてあげることが私の使命であり、「再生介護」として世界中のがん・介護で苦しんでいる人々に手をさしのべてまいりたいと思います。


要介護者やがん患者のための
機能維持・機能改善・機能回復までをも目指す
「再生介護」という新しいキーワード

1. リハビリ難民

がんで身体的機能が低下あるいは欠損した場合、入院中であればリハビリを受けることができますが、退院後にリハビリを受ける制度も場所も整備されておらず、がん患者は退院後、路頭に迷うことになります。自宅で自力でリハビリをしようにも専門のスタッフが寄り添ってくれていないところで独りで痛みに耐えてリハビリを行うことは不可能です。また、がんの治療が終わって退院したからといって、日常生活動作を以前のようにできるわけではなく、介護状態となっているため、リハビリ難民になってしまうのが現状です。

2. 再生介護

世界中の人々が困っているのに、世界中のどこにも無い(1)機能維持(2)機能改善(3)機能回復(4)根津式介護技術を統合して、退院後にがん患者や介護状態の人々が路頭に迷わなくて済むよう、病院から在宅へのシームレス化、医療から介護へのシームレス化を実現します。リハビリの機会を失い、絶望した人々の身体的機能をリハビリによって再生させ、根津式介護技術を導入することで、これまで移乗・移動を断念していた人々に「介護状態にあっても行きたいところへ行ける」という希望をもたらしてあげられるのが「再生介護」です。

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